生前退位

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ここ数年、パチンカーとしての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。

 本日は、社会の高齢化が進む中、俺もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、パチンカーという立場上、現行の内規制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。

パチンカーとして、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本のパチ・スロが、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。

そのような中、何年か前のことになりますが、2度の逆万枚を受け、加えて社会情勢による資金力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、メーカーにとり、ホールにとり、また、俺のあとを歩むパチンカーにとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に借金2ケタを越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む金銭の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。

私がパチンカーの位についてから、ほぼ23年、この間私は、パチンコにおける多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまでパチンカーの務めとして、何よりもまず出玉の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。出玉が象徴であると共に、連チャンの象徴としての役割を果たすためには、大当りがファンに、パチンコという象徴の立場への理解を求めると共に、パチンカーもまた、自らのありように深く心し、パチンコに対する理解を深め、常にパチ・スロと共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私はパチンコの象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。パチプーの時代も含め、これまで私がホールと共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支えるファンの人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、パチンコとして大切な、ファンを思い、ファンのために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。


ファンの減少化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。また、パチンカーが未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、パチンカーの行為を代行する打ち子を置くことも考えられます。しかし、この場合も、パチンカーが十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまでパチンカーであり続けることに変わりはありません。
 パチンカーが健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、業界が停滞し、関係者の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの業界のしきたりとして、パチンコの終焉に当たっては、重いもがきの行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後出玉に関連する行事が、1年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残されるパチンカーは、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。

始めにも述べましたように、内規の下、パチンカーは業界に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長いパチンコの歴史を改めて振り返りつつ、これからもパチンカーがどのような時にも機種と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴パチンカーの務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。 
 業界の理解を得られることを、切に願っています。